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(この記事は管理人の主観で書いています。正しくない可能性があります。ご了承の上、お読み下さい。)

昨日、コメントを頂きました。内容から日本人の方だと思います。

その方は、サイトを見て、遡って記事を読んで下さっているそうです。ありがとうございます。

コメントの内容は、要約すると『どの記事でも敗戦と言う言葉を使っている。先帝陛下が止めると仰って止めたので終戦が相応しいのではないか』というものでした。

確かに私はいつも終戦と言う言葉を使わず、常に敗戦という言葉を使っています。



この終戦と言う言葉を使うべきか、それとも敗戦と言う言葉を使うべきかと言う議論は、以前からあるようです。なかには停戦だ・・と言う方もいるようです。

テレビや新聞では、いつも終戦と言う言葉を使い、8月15日を終戦記念日と言っています。

戦争が始まる事を開戦と呼びますので、開戦の対義語・・戦争が終わった日という意味合いで言えば、終戦が正しいのかもしれません。

意識していないのでわかりませんが、おそらく学生の時から終戦ではなく、敗戦と言う言葉を使っていたと思います。

海軍中将で私が小学生の頃まで存命だった父の大叔父も『敗戦』という言葉を使っており、その影響もあった可能性も有ります。



個人的には敗戦と言うべきと思います。もちろん私の主観なので『これが正しい』というつもりもありません。

また以前書いたように、このサイトは日本人との議論を目指していませんので、議論もしません。

ただ言葉の与えるイメージについて、考えてみたいと思います。

敗戦当時、当然私は生まれてもいませんし、当時について詳しくもありません。本を読んでも、それは筆者の意思が入っており正しいとは言い切れません。

当時、天皇陛下が玉音放送で国民に対し、『戦争を終える』と呼びかけたわけですが、それまでは戦争続行の可能性もあったと思います。



ベトナムのような泥沼のゲリラ戦になっていたかもしれませんし、日本人が半減したり絶滅するような結果もあったかもしれません。

しかし、いつかは終わったでしょう。天皇陛下が『最後の1人まで・・』と言ったとしても、いつかは敗北と言う形で終わったはずです。

太平洋戦争・大東亜戦争・第2次世界大戦・対米戦、いろんな呼び方はありますが、負けた事には違いはありません。

負けたのであれば、はっきりと『我々は負けた』と認識すべきと思います。

また当時の米軍を進駐軍という言い方もありますが、これも正しくは占領軍と呼ぶべきではないかと思っています。そこに自由意志は無かったのですから。



この終戦・敗戦、進駐軍・占領軍という言い方を考えていると、ボクシングの試合終了のようだと思います。

ボクシングの試合を見ていると、いくつかの終わり方があります。

ノックアウトで終わるKO、3回ダウンして止められるTKO、タオルが投げられたり医者が止めるTKO、判定で審判にゆだねる判定、試合自体が無効になる無効試合などでしょう。

天皇陛下は強いて言えばトレーナーで、タオル投げて終わった形に近いかもしれません。

ダウンしたボクサーは『まだ2回しかダウンしていない。まだやれる。10カウントは聞いていない』と言うかもしれませんが、やはりTKOが妥当だったでしょう。



トレーナーがタオルを投げなかったとしても・・親族がトレーナーを抑えて試合を続けさせても、起死回生は無く、ラウンドが伸びるだけで、一層ひどいダメージを受けたものと思います。

『KOされてない。KOされてないから負けてない』とボクサーが言ったとしても、それは通じないはずです。負けは負けです。

KOもTKOも判定も、黒星が付けば負けですが、負けた以上『あれはTKOだ。止められただけだ。まだ出来た』と言っても変わりません。

KOと思う人も、TKOと思う人もいるかもしれませんが、それを決めるのは当事者ではありません。そして日本は対外的に、まさしく負けた敗戦国です。

一番大切なのは、負けを認め、『何故、負けたのか』という敗因について考える事と思います。



戦争ではそれぞれが正しいと思って戦うものだと思います。心の中に引っかかるものがあったとしても、正しいと言っていたはずです。

両者にそれぞれの正義があり、どちらが正しいのかという議論は、殆ど意味を為しません。いい戦争・悪い戦争と言うのは、立場によって変わる相対的なものと思います。

また『何故、戦争を始めたのか』という問題も、大切でもありますが、最重要項目ではないと思います。

日本は戦争に懲りたように『戦争放棄』を選び・・または選ばされましたが、戦争とは必ずしも両者合意の上で始まるものではありません。

一方的にゴングが鳴り、殴りかかられる事もあるでしょう。



であるならば、『何故、戦争を始めたのか』という問題を追及しても、戦争は防げません。

震災のように『戦争はいつか起きるもの』と捉え、その時に『どうすれば負けないか』という事を考えておく事が重要と思います。

その為には『何故リングに上がったのか』ではなく、『何故ダウンして負けたのか』という敗因の分析が最重要と思います。

何故ならその自己分析・・それも感情を完全に排した形での正確な自己分析がこそが、『どうすれば負けないか』に繋がるものと思います。

こんな事を書くと怒られるかもしれませんが、当時の戦争で日本が侵した最大のミスは、戦争を始めた事ではなく『負けた事』だと思います。

その為にも終戦と呼ぶよりは、明確に『敗戦』と呼んで黒星を認め、その敗因についてよくよく考え続けるべきと思います。







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