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韓国を批判する事が多いのは事実ですが、感情的な表現はしないように心掛けています。
集団としての韓国を批判する事はあっても、韓国人そのものに対する感情的批判はしないようにしています。
時折届く意見には、韓国と言う国家や、特定の韓国人以外を対象とした感情的な中傷が届く事があります。
『韓国人は死ね』というような意見です。数は多くありませんが、たまに届きます。コメント公開の認証はしません。
これらの感情的な中傷は、韓国世論での『チョッパリは死ね。日本は沈没しろ』という中傷とあまり変わりません。
多分、そういった意見の持ち主は、韓国人が嫌いな理由があり、それを表面化させているだけでしょう。
感情を発現しているだけで、明確な目的は無いと思います。
感情的な意見と言うものは、あまり意味がありません。
韓国人が『チョッパリは死ね。日本は沈没しろ』と言っても、日本人は絶滅しませんし、日本も沈没しません。
日本人が『韓国人は日本から出て行け』と言っても、現実には出て行っていないので、あまり意味を持ちません。
では、こういった感情的な意見が他者の賛同を得るか・・と言う点でも、疑問です。
ヘイトスピーチなども基本的には、同様と思います。
民主国家の政治と言うのは、どのレベルでも基本的には多数派工作です。
多数派工作に成功し、選挙に勝ち、政策を決議した陣営が勝つ世界です。
多数派になる為には、中間層の賛同を得なくてはなりません。
となれば、保守陣営サイドとしては、賛同を得られる発言をすべきで、賛同を得られない発言はすべきではありません。
韓国を批判するにしても、それは説得であるべきではなく、納得を引き出すものであるべきでしょう。
選挙での投票は1人で行うものです。どんなに説得されても、自分が納得した人物の名前しか書かないはずと思います。
無理強いしても多数派工作は成功しませんし、おおむね強すぎる感情的意見と言うものは賛同を呼びません。
人と言うものは、基本的に不快なものに対して賛同しないものです。
『韓国人は死ね』という意見を見て、『おぉ、その通りだ、保守に投票しよう』と感じる人は殆どいないでしょう。
むしろ、多くの中間層に嫌悪感を持たせ、多数派工作を不利に導く可能性の方が多いのではないかと思います。
必要なのは、問題提起とそれを解決する手段の提案です。
感情に訴える側面も必要ですが、感情のみでは人は動きません。
心理学では、人間の全ての行動は『自分が損をしない為』と言う見方があるそうです。
であるなら『現在や将来に日本が損失を与えられる情況があり、それを改善する為にはこういった行動が必要とされる』という事を周知しなくてはなりません。
しかも無関心な中間層には、わかりやすい形で繰り返し伝えなくては、伝わりません。
『韓国人は死ね』と発言する方も、会社の会議で反対する意見の持ち主に『お前は間違っている。死ね』とは言わないはずです。
反対陣営の提案の問題点を追求し、改善すべき点と、その方法を理性的に提案しているはずです。
それでなくては多数派工作と言うものは、成功しません。
そう考えれば感情的な中傷は相手陣営から引き出すものであるべきで、その感情的な姿を中間層に見せ、嫌悪感を利用すべきでしょう。
無理な説得では人は動きません。無理に手を引っ張るのではなく、手は添えるだけにして方向性だけ示せれば充分ではないかと思います。力めばシュートを外します。
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