(この記事は管理人の主観で書いています。正しくない可能性があります。ご了承の上、お読み下さい。)
ここ数日、日本に非常に強度の台風が日本を縦断しています。
日本では毎年台風によって大きな被害を出しますが、今回の台風は特に強いものでした。
関東地方では、この3日間に1か月分の雨量を超える記録的な雨が降りました。
茨城県や栃木県では、大規模な洪水が発生し、住宅が押し流されている状況です。
きっと韓国ではまた大喜びをしているでしょう。
これらの被害地域では、警察や消防の対応できるレベルを超え、自衛隊が供出活動を行っています。
堤防が決壊し、自衛隊のヘリからロープ1本で釣り下がり、住民を助け続ける自衛隊員の活躍がテレビで放映されています。
濁流に囲まれた家に1人で下降し、失敗すれば落下したり、濁流に飲まれる可能性もあるでしょう。
大変な勇気だと思います。自衛隊員の給料に見合うものではなく、日本人を守る使命感が支えているのではないかと思います。
以前、東大の政治学者である古市憲寿は『自衛隊は仕事なんだから、日本人が応援しなくても活動する』という様な趣旨の発言をした事を覚えています。
凄いですね。古市氏といい、共産党・社民党といい、もし自分が今日のような危機的状況に陥るという想像力が欠落しているのでしょう。
それともそんな時でも『なにをしている。俺を先に救わないとはひどい奴だ。違憲だ』とでも言うのでしょうか。
自衛隊員の方が、どれくらいの収入があるかは知りません。
ですが、腰まで泥につかり、数十メートルの高さからロープで下降するのは、金の為だけではないでしょう。
さて、先日ネットを見ていたらあるサイトを見つけました。全日本民医連というサイトです。
名前からすると、医師の組合のようです。しかし何故か『第3回評議員会ひらく 戦争法案、必ず廃案に』という記事もありました。
記事を色々見ていましたら、映画監督の井筒和幸との会談が載っていました。
井筒和幸監督と言えば、『パッチギ』などの作品で知られています。
では記事の一部を紹介します。
山田:自衛隊が守る国家とは何ですか?
井筒:国家というのは国家権力、国という主権形態で。防衛大臣のおっちゃんも言ってるでしょ。『自衛隊が出動するのは国家の存亡に関わるときだ』と。
自衛なら良いと彼らは言いますが、自衛とは国家、戦前は国体と言いましたが、その自衛です。国民を自衛しますという考えではない。
国民が何人死のうが国家が残ればいいんです。そのための自衛軍が必要だと言います。だから市民は守りきれません。
しかし守ってもらえると勘違いしてる国民が大勢いる。これがとんでもない大きな間違いです。
山田:今もアメリカはテロを無くすためだと戦争していますよね。そこに日本も荷担しているのは問題だと思うんです。
井筒:その通り。なにもテロなんて終わってない。またテロは起こりますよ。宗教の二極対立です。毎日爆撃されてやられまくってるんだから、やり返しますよ。
山田:その繰り返しだと何も無くならないですよね。
井筒:どっちかが止めないことには終わりませんよ。前に進みません。平和を誇示しかないんですよ。そのためには例え一国平和主義でもいいじゃないですか。
コスタリカみたいにうちは何もしませんって宣言して軍隊を持たなければいいんです。今の日本国憲法は自衛戦争も否定してます。
ところが憲法の拡大解釈によって自衛戦争だけは別だと主張して、その一点だけで自衛隊を維持させてきたんです。
山田:それを信じて自衛しなきゃって思う人も多いですよね。
布村:原爆をはじめ戦争の悲惨な経験を持ち、それを真剣に考えたからこそ日本には憲法九条が出来たと私は思っています。
正しい戦争なんて無いんだという結果であって、国連憲章よりも進んでいる考え方だと思います。
井筒:そうですね。九条は挙げ句の果てに出来た人間の英知です。アメリカの憲法にもイギリスの憲法にも九条はないんです。
起草させたアメリカでさえも自分たちでは作れなかったんです。
形而上的で観念的ではありますが、憲法の純粋解釈としては自衛戦争もしてはならないというのが原理原則なんです。
なのに『自衛もしないのかよ。くたばってまうじゃないか』と、そういうすり替え論になるんですね。本来の憲法解釈はそうならないんですよ。
だって武力を持たないんですから。武力を持たないということは自衛戦争も出来ないという意味です。交戦権も認めていない。
それでも改憲派は『自衛戦争だけは別なんだ』と。またこうも言います。『この2項に書かれてるのはあくまでも制裁戦争と侵略戦争を禁止しているのだ。
よその国がいかがわしいことをしてるから戦争しに行くとか、よその国がぼーっとしてるから攻めに行くとか、こういうのは駄目だけど自衛だけは認めてるんだ』と。しかしよく見て下さい。
九条の第一項だけでは自衛戦争をしてもいいという文脈、すなわち国権の発動たる戦争と威嚇または行使という中に自衛戦争は含まれないとしても、第二項に書かれている『武力を持たない』『交戦権を認めない』ということで、はっきりとダメ押しと念押しをしてるんです。
ここには自衛戦争も認めないと明らかに書いてあるんです。だからこそ憲法を変えたがる人たちはここに但し書きで『自衛戦争は含まれない』と入れたがるんです。
なんのために堂々巡りしているんだか、猿知恵にも劣ります。中途半端な理念です。
山田:憲法九条を変えたがる人というのは戦争に利権を求めている人なのでしょうか?
井筒:いやここは利権というよりもあさましい生臭い理念ですよね。考え方ですよ。理屈として『自衛くらいしていいじゃないかよ。でないとヤバイやないか』という考え方で、憲法としての不備を言うんですよ。
自衛できないなら攻められたとき死ねって言うのかとか。自衛戦争ぐらい当たり前じゃないかと。
そのためには最小限の武器もいるだろうという理屈で、警察予備隊、そして自衛隊と、作らされてしまったんですね。
自衛隊を擁護してる人たちの理屈っていうのはそれだけです。だから自衛隊という言葉を創ったんです。
しかし憲法自体が戦争を認めてないんです。攻められるという事態を招くのは攻められるようなことをするからです。
知力をもって行動すれば攻められるようなことは起こりません。仮想敵国などもうないんですよ。
※引用元 http://www.min-iren.gr.jp/ikei-gakusei/igakusei/zi5_medi/040/mw-toku-40.html
この監督の作品は何本も見ていますが、理不尽な暴力を描くこともあります。
『知力をもって行動すれば攻められるようなこと』は起きている事として、描かれているんですけどね。
自衛隊は・・日本人は・・自衛もしてはいけないそうです。それが国連憲章より進んでいるそうです。
井筒監督は、どんな因縁つけられても殴られない自信があるようですね。
ところで、この全日本民医連というサイト、外国語表示もされているのですが、英語と何故かハングルです。不思議ですね♪
|