(この記事は管理人の主観で書いています。正しくない可能性があります。ご了承の上、お読み下さい。)
このサイトを書き始め、1年半になります。年内には500記事に届くと思います。
個人サイトでも商用サイトでも、管理人や店主の仕事の肝はアクセス解析だと思います。
誰がどこからに来て、何に興味を持っているのか・・・いわば顧客のニーズと傾向を知る事です。
10年以上更新しているサイトでも、時間があれば常にアクセス解析を見ています。何が必要とされているかを知るためです。
ネットショップも同じで、いい店と良くない店の違いはそこにあります。
いい店は顧客が求めるものを売り、良くない店は自分が売りたい物だけを並べようとします。それと同じです。
このサイトを1年半書き、アクセスの傾向を見ているとよくわかる事があります。
それは『韓国批判を強めるとアクセスが増え、韓国批判を弱めたり日本の立場の検討などを書くとアクセスが減る』と言う事です。顕著です。
それが良いか悪いかは別として、強い韓国批判が求められ、日本を検証したり、あり方を問うような物は好まれないと思います。
これは私の主観ではなく、アクセスの数字に出ています。実際にアクセスを上げたい時に批判すると、かなりの確立で上がります。
アクセスを上げ、ブログランキングを上げようと思えば、韓国批判を強く書けばいい・・と言う事になります。必ずしもそうはしていないので、私はいい管理人ではないかもしれません。
アクセスが上がれば、読む人が増え、いろんな意見も聞けるでしょうし、韓国に意見が届くかもしれません。
多分、このサイトに来てくださってる方の多くは、このサイトを嫌韓サイトとして捉えていると思います。このサイトが嫌韓なのか、反韓なのかは私が決める事ではありません。
韓国人には『嫌韓』と批判されます。しかし、このサイトでは『韓国が嫌い、韓国人が嫌い』とは一度も書いていません。何故なら嫌いとか憎いという感情は、あまり役に立たないと思っています。
ところで質問・・あなたは良い人ですか?悪い人ですか?心に浮かんだ答えは正解でしょうか?
もし私が20代に戻ったとして、目の前に美人の女性と、そうでない女性がいたとします。
馬鹿な私はきっと表紙しか見ず、美人に優しくして、そうでない方には優しくしないでしょう。
すると美人から見れば、私は『いい人・利用しやすい人・簡単な男』と見えるかもしれません。
そうでない方の女性には『ルックス重視のくだらない男、優しくない男』と見えるでしょう。
これと同じ事は私の知人全てに発生し、知人全てにその知人なりの私という人間がいるはずです。
ある人にとっては善人で、ある人にとっては悪人です。知り合った人の数だけ、私という人間は存在すると言えると思います。
人間は、自分以外の他者がいる所では必ず演技をします。必要とされている自分、自分の望む自分像を必ず演出します。
全ての人間関係は絶対的なものではなく、相対的なものでしょう。
いい人か悪人かは、自分ではなく、その人を見ている人の印象の数が決めるというのが正しいはずです。
再び質問・・あなたは、ゴルフをしますか。野球でもいいです。それとも料理をしますか。自分の声を録音した事がありますか。
自分のスイングを録画した事がありますか。自分の料理は食べてるはずですね。録音した自分の声を聞いた事がありますか。
スイングの軌道は理想的でいつも同じですか。得意料理の味はいつも同じ味ですか。イメージどおりの声ですか。
私は子供の頃、自分の声を録音し再生した時、『自分はこんな声なのか』とショックを受けました。自分で聞こえていた声とは違っていました。
理想的なスイングをしているつもりでも、同じ軌道ではないはずです。料理は味見しても体調によって変わりますし、声も想像と違う人はいたと思います。
それが出来るのはプロの中でもほんの一握りのプロのはずで、超一流ゴルファーや、調理人や声優だけでしょう。
自分が認知している世界は全て主観の影響を受けますから、あまり正しいとは言えません。見ているもの全てを見ているとは限りません。
更に自己演出が加わりますから、自分を判断出来て、それなりの信頼に足るのは相対的に判断する人々の多い少ないだけでしょう。
人間は自分で思うほど自分をコントロールできません。ボールは違う方向へ飛ぶし、料理はしょっぱくなるし、声は鼻づまりになるものです。
正しい料理を作るなら、必要なのはモチベーションではなく、正しく計測された調味料のレシピと、正しく計測し手順を厳守する意思です。
恋人においしいカレーを食べさせようと隠し味を入れて作ったカレーと、調理師が正しくレシピを作ったカレーでは、ほとんどの場合、調理師が勝ちます。
恋人はおいしいと言ってくれても、街角の99人は違うはずです。だからこそ正しく作られたカレーが売られています。おいしいと言う恋人の評価は主観の影響に過ぎません。
韓国と日本、どちらが正しいかは重要ではありません。少なくとも最重要項目ではなく、更に言えば日韓が判断できる事ではありません。
好き嫌いや感情も重要ではありません。嫌った方が勝つわけでも、憎んだ方が勝つわけでもありません。
料理の味は、思い入れでは変わらず、どれだけその料理を必要とする人たちの希望に合う調味料と手順を再現しているかで決まります。
日本人にとって、ほとんどの場合、日本の国益が最優先です。
日本の国益が損なわれる事無く、名誉が傷つけられる事無く、日本人が安心して生活できる状況が最善です。
韓国がその障害であるなら必要なのは、憎む事ではありません。侮辱する事でもありません。それでは韓国と同じになってしまいます。
目的は、韓国を日本の為に利用することです。利用できないのなら有益な敵として活用する事です。
韓国は感情的に邁進して来ましたが、日本は倒れませんでした。あれほど強い感情でも相手を倒せない証明です。
日本人にとって必要なのは、強い感情では無いと思います。
最も必要とされ、おいしいと言う感想を最も多く得られる理想形の料理に必要な調味料の計測と、手順の確認です。
怒る事が必要なら、激しく怒る必要も生まれるでしょう。しかし、我を忘れて怒るのと、怒っているように見せるのは大きく違います。
いかに韓国を日本の為の捨石として利用し、どう実現するかの冷静な逆算が必要と思います。
感情的に相手を殴り『この野郎』と叫ぶのではなく、笑顔を保ちつつ賛同を得られる行動をし、その後で瀕死で救いを求める相手の目を覗き込み、相手の眼光が消える瞬間を見届ける冷徹さこそが必要でしょう。
|