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(この記事は管理人の主観で書いています。正しくない可能性があります。ご了承の上、お読み下さい。)

今日は差別について考えてみたいと思います。不快に感じる方もいるかもしれませんが、主観文章ですのでご理解ください。

差別という言葉の意味を調べると、こう書いてありました。

『正当な理由によらず偏見や先入観に基づいて、あるいは無関係な理由によって特定の人物や集団に対して不利益・不平等な扱いをすることを指す』

『取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと』



いくつか見ましたが、正当な理由無く不平等な扱いをする事を、差別の定義としてよいのでしょう。

マジョリティ・マイノリティについて記述があるかなと思いましたが、差別という言葉の定義としては含まれていませんでした。

東京都渋谷区では、昨年11月同性のカップルを結婚に相当する「パートナーシップ」と認める証明書の交付を開始しました。

長谷部健区長は、学校などでは、性的少数者に対する差別が残っているとして、今後も教育現場での啓発などに取り組んでいく考えを示したそうです。

では、この事例を参考にして考えてみたいと思います。



まず前提として私は同性愛者ではありません。また同性愛を否定する者ではありません。同性愛が悪いとは思いません。

国が同性婚を承認することについては、やや懐疑的です。

試行当時、女性同士のカップルがマスコミに登場しました。20代後半から30代前半位の女性二人でした。

渋谷区のパートナーシップ制度を利用して、結婚に相当する申請をしたのだと思います。

私が接した報道では女性同士の申請だけで、男性同士の申請を報じるものはありませんでした。



『同性婚なんてとんでもない』と言う人がいたとしたら、それは差別なのでしょうか。

結婚は愛情に基づいた関係を結ぶものですから、同性だからと『取り扱いに差をつけ』れば、差別なのかもしれません。

女性同士なら精子提供を受ければ子供も持てると思います。男性同士では現在の科学では難しいでしょう。

結婚の目的は子供を持つことではありませんし、男女の結婚でも子供を持たない・持てないケースは多いですから、先ほどの定義を見ると『子供を持てないから駄目だ』と言うのは差別に当たるでしょう。

もし・・と仮定して、私が渋谷区の職員で戸籍係なら、同姓のカップルがパートナーシップ申請に来れば、受け付けて書類に不備が無ければ認可するでしょう。



では、もし私が同性愛・同性婚を容認しない宗教の信徒で、信じる宗教の戒律に『同性婚に関わってはならない』という一文があったとしたら、どうなるのでしょう。

アフリカやイスラム諸国では同性愛に厳しく、同性愛者は死刑と言う国もあるそうです。

またキリスト教でも福音派や正教会は基本的には同性婚に反対、カトリックは同性愛を阻害しないが合法化には反対という姿勢のようです。

もし私がイスラム教徒だったり福音派で、宗教の指導者から『同性婚に手を貸してはならない』と言われ、それを守ろうとしていたら、どうしたらいいのでしょうか。

日本には信教の自由があります。『宗教上の理由で同性婚の受付は出来かねます』と言ったら、差別したとして告発されるのでしょうか。



アメリカでは連邦最高裁判所の判断により同性婚が認められ、禁止していた州でも結婚が認められた事で、昨年から上記のような状況が発生しています。

同性婚の結婚式やパーティーに使う花束やケーキを注文したところ、花屋さんやケーキ屋さんが『キリスト教の信仰から同性婚のための販売はできない』と拒否するケースが出ています。

その花屋さんやケーキ屋さんは、差別主義者として告発され、敗訴したり、多額の賠償金を支払うケースが出ています。

またケンタッキー州の職員が『キリスト教の教えに背く結婚許可証の発行は良心に反する』として、結婚許可証発行を拒否し告訴されています。

職員は断固として拒否し続け、法廷侮辱罪で収監されますが、「私にとって、これは同性愛者の問題ではなく、結婚と神の言葉、そして宗教の自由に関わる問題なのです」と拒否し続けます。



同様に多くの州で結婚許可証の発行を拒否するキリスト教徒の職員が現れ、キリスト教団体が『同性婚への結婚許可証の発行は信仰の自由を侵している』と職員を支援しています。

政界でも大統領選に出馬する大物議員が、拒否した職員を支持して、国論が割れている状態です。

アメリカでは40数年前までは、白人と異人種の結婚は違法でした。異人種間結婚禁止法です。

しかし今では、連邦最高裁判所が『同性婚は憲法上の権利』と判決を出して、合法となりました。

異人種間の結婚も容認されました。同性婚も容認されました。これを認めないとアメリカでは、差別と言うことになるのでしょう。



こういったニュースや、同性愛者に関する報道を見るたびに思う事があります。

では・・もし・・極論ですが、小児性愛者が『子供との結婚を認めないのは差別であり違憲だ』と言い出したら、どうなるんでしょうか。

これは一例であって、例えばの話です。同性しか愛せない人がいるように、仮に少年少女しか愛せない人がいて権利を求めたらどうなるのでしょうか。

現在なら大人が少年少女と関係を持てば、合意の元でも罪になります。認められません。以前、異人種間の結婚が認められず、同性婚も認められなかったように。

一夫多妻を求める人が現れて、『幸福追求の権利を阻害された』と訴えたら・・どうなるんでしょうか。もっと極端な例だってあるはずです。



同性婚した方は、養子に迎えた幼いお嬢さんと恋人の小児性愛者が現れ、『幸福追求の権利の為、僕とお嬢さんの結婚も応援してください』と言われたら同じように支持するんでしょうか?

今はそこまで到っていませんし、そういう事態にはならないと思いますが、これを拒否したら矛盾に近い状態ではありませんか。

先ほどの職員のように信仰の自由を理由に、『宗教の戒律に反する結婚にかかわらないことの権利』を求められたら、どういう結末になるのでしょうか。

思えば、パートナーシップについての報道で若く美しい女性同士が報じられた時、感想を聞かれた人々は『いいんじゃないですか』と答えていました。

もしあれが女性同士ではなく、18歳になった青年と老人男性のカップルだったら、インタビューされた人は同じように『いいんじゃないですか』と言うのでしょうか?



『いいんじゃないですか』と答えた方たちは、自分の息子が男性を連れて『この人と愛し合ってる』からと言ったら、『良かったね』と祝福できるのでしょうか?

正直、私なら出来ないと思います。私は差別主義者と言うことになるんでしょうか。どこからが差別なんでしょうね。

『同性婚も認める。良かったね。おめでとう。でも宗教上の理由で付き合えないから、この家にはもう来ないで』と言ったら、それは差別?

同性婚を望む方がマイノリティ、異性婚を望む方がマジョリティで、なおかつマジョリティが宗教的嫌悪感を持っていた場合、それは差別?ではマジョリティの幸福追求の権利は?

同性婚はほんの一例と思います。他にも同じ構図のものはたくさんあるでしょう。前もって考えておく必要があると思います。

考えておかねば、ある日突然『差別主義者!レイシスト!日本から出て行け!』と言われる日だって来るかもしれないのですから・・。







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