(この記事は管理人の主観で書いています。正しくない可能性があります。ご了承の上、お読み下さい。)
戦後70年の夏が来て、まもなく安倍談話が発表されます。
中国・韓国は自国への謝罪が盛り込まれるかに注目し、内容によって対日政策を硬化させるでしょう。
9月には中国にて抗日70周年のイベントが開かれ、場合によってはパク・クネ大統領も出席するでしょう。
パク・クネ大統領の妹による日本よりの発言に対する非難も大きく、中国の反日政策を支持することでバランスを取るかもしれません。
私の父と母は既に他界していますが、二人とも戦争体験者でした。
終戦当時、父は東京理科大学の学生で、東京は焼け野原、中央線沿線は食べられる草は全て食べつくされ、私が子供の頃『戦時中はザリガニとサツマイモばかり食べたから見たくもない』と言っていました。
米軍進駐後は、米兵が父の首に傘の柄を引っ掛けて引きずりまわされたことがあるらしく、反米ではないものの『なにくそ』と言う思いはあったようです。
母は、樺太からの引揚者でした。叔父もいるのですが、母には何を言われても絶対に『はい』と言っていて、その理由を聞いたことがありました。
母と母の姉が引き上げの際に、まだ幼児だった叔父たちの面倒を見て、食べる物を叔父たちの為におかゆにして食べさせていたらしく、『お前のお母さんたちがいなかったら、自分らは死んでいただろう。だから何があっても頭が上がらないのだ』と言っていました。
父の大叔父は海軍中将でしたが、戦犯になる事も無く、私が子供の頃まで存命でした。
私も幼かったので良く覚えていませんが、戦争の話を何度かしてくれたのを覚えています。
『敵の弾がヒュンヒュンと飛んでいるうちに飛び出すやつは助かるが、弾を怖がって弾がプスンプスンと地面に刺さり始めるまで躊躇う奴は死ぬ』と言っていたのを覚えています。
今考えれば、学徒出陣寸前の父、樺太から引揚者だった母、帝国海軍の大叔父の話をもっとよく聞いておくべきだったと思います。
三人とも『敗戦で全ての価値観が変わってしまった』と言っていましたが、戦時中の苦労に対する恨み言を聞いた覚えはありませんでした。
毎年、この夏の時期になると戦争体験を語る人々がいて、語り部と言われます。
戦後70年ですから、当時10歳の方でも既に80歳とご高齢です。
帝国軍人だった方も相当少なくなっていると思います。
こういった戦争経験を持つ語り部のお話を聞くことは、実に貴重で大切な事と思います。
もちろん、これらの戦争体験は個人が体験したものですから、多分に個人の主観が入ります。
私が思うのは、戦争体験は貴重だが主観を排した5W1Hが大切ではないかと思います。
いつ(When)どこで(Where)だれが(Who)なにを(What)なぜ(Why)どのように(How)と言う事が主題になるべきで、いわば記憶より記録を優先すべきと思っています。
記録と言うものを、個人の証言である記憶で補完するのは問題ないと思いますが、その記録に対して個人的な主張をもって脚色するのは望ましくないと思います。
たとえ意図的に証言者が脚色していないとしても、ある方針に従って再編集する事は非常に容易です。
動画や映像をどこで切り取るかによって、視聴者に与える影響は操作が可能です。
日本には、ニュースバラエティーといえるジャンルの報道番組は多数ありますが、5W1Hを重視する本来のニュース番組は本当に少なくなりました。
映像には心理的に影響を与える音楽がつけられ、事象に対する私見をアンカーパーソンが語り、印象を大きく左右します。
映像関係の仕事を経験している方なら、同じ素材を使っても、結果が180度違う映像を作れる事も理解しているはずと思います。
本来なら語り部の言葉を、そのまま視聴者に対して投げかけ、その解釈は視聴者個人に任せると言うのが本来のニュースのあるべき姿と思います。
アンカーの解釈を語り部の趣旨のように演出し、思想を誘導しているような現状は不健全だと思います。
また語り部そのものが強い政治的主張を持ち、その信条に従って発言することは更に危険でしょう。
どんな戦争でも悲惨なもので、戦争に賛成する人はいません。
語り部が戦争反対を訴えるのも理解できます。しかし戦争も火災のように自ら起こさなくても、放火の様に巻き込まれることもあります。
そういった不確定要素をあえて考慮せず、『とにかく何が何でも戦争反対』というは、戦争賛成と同じレベルで危険な意見でしょう。
『戦争絶対反対』と言う方が、『侵攻を受けたらどうするのか』という質問に答えられない限り、私は参考の域を出ないものと思います。
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